本校区は、田主丸町の南に位置し、東西に連なる耳納連山のほぼ中央部にある。集落は東西に広がる8集落(森部、石垣、大井、二田、益永、麦生、あさひ台、たのし峰)よりなる。
校区の主な産業は農業で、特に果樹(巨峰、柿)、植木、苗木、花卉栽培が盛んである。専業農家がだんだん少なくなり、多くは兼業農家である。
山麓沿いに「山苞の道」が通っている。「山苞の道」とは、山に包まれた道、そしておみやげの多い道という意味である。その名の通り、史跡やワイン工場、道沿いの農園、工房やギャラリーなど歴史と文化の薫り高い風土である。
学校と家庭、地域が一体となった『ブリッジ教育』が息づいている。
本校は、明治25年(1982)年に「水縄尋常小学校」として創設され、今年で133年を迎える。
昭和49年から4年間「ゆうかり分校」が本校に設置され、障害児(当時)教育に取り組んだ。昭和54年に福岡県田主丸養護学校(現田主丸特別支援学校)が開設されてからは、両校の交流教育が実施され、現在も続いている。
平成17年2月に久留米市と合併をし、「久留米市立水縄小学校」となる。
平成18年6月より校舎改築の工事が始まり、平成19年4月に新校舎完成記念式典が行われた。また、付帯施設として、体育倉庫も平成20年に完成した。
時代に応じた各種の研究発表会を行い、表彰も数多く受賞している。